価値ある脱毛
いや、経営の常識から言えば、それが合理的であったはずである。
しかし、I氏という人は、利益追求のために事業を始めた人ではなかった。
他人ができないことを自分の手で成し遂げる達成感を何よりも重要視した。
それにI氏にとっては、当時のシャドーマスク方式のカラーテレビは、出来損ないの商品にしか見えなかった。
画面が暗かったのである。
部屋を明るくしたままでは色彩は淡い印象を与えた。
自分がやる以上は、何よりも画像が明るく鮮明でなければ意味がなかった。
そして、I氏は自分ならやれると考える人であった。
日本初のテープレコーダーも世界初のトランジスターラジオの開発も、I氏にそのような確信を与えていたことは言うまでもない。
どのような方式がいいか、と考えあぐねていたが、1961年3月にニューョークで開かれたIREショー(全米ラジオショー)で見つけた1台のカラーテレビモニターに注目することになる。
それは当時のカラーテレビが及びもつかない鮮明な映像を映し出していた。
I氏は一目でこれにひかれた。
自分の作るカラーテレビはこれしかないというほどの惚れこみようだったという。
少し調べればわかったはずだが、クロマトロンと呼ばれたこの方式が、軍事機器である「敵味方識別装置」に使用されていたものであることを知ったのは、権利をパラマウント社から買ってからだった。
取り残されたS市場は着実にカラーテレビの需要増の兆しを見せていた。
Sに時間の猶予はなかったはずである。
試作機を担当した技術者達は、とても量産できる方式ではないと、これを否定した。
常識的な判断であったろう。
しかしこのとき、I氏は、そのような見解を真に受けなかった。
空冷の可能性を信じたHS氏同様、やりようによっては絶対にできると主張して譲らなかった。
I氏は、Sの社長(当時)である。
社長が信じ込んでしまえば、誰もそれを翻意させることはできなかった。
1964年、I氏はついに大崎の工場にクロマトロンの生産ラインを設け、画期的なクロマトロン方式によりSはカラーテレビに参入すると発表した。
想像通り、歩留まりは採算ラインを大幅に割り込むものだった。
しかしI氏は、製造工程に改良を重ねていけば必ず歩留まりは向上すると言い続けた。
かつてのトランジスタの歩留まり5パーセントかな軍事機器なら、この程度の性能は当然であった。
コストも製造の歩留まりも度外視されるからである。
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